2001/10/21

一葉会について

前に柴崎さんから次のようなメール

一葉会のこと少し分かりました
写真 作家伝叢書 9 樋口一葉
著者 塩田良平 
明治書院 昭和41年8月30日(初版)
あの写真のエトキとして 一葉会が太字の見出しで
一葉会(明治三十七年二月七日、福山町旧居にて)
当時文科大学英文科学生森田二十五絃(草平)が偶然一葉旧居に
寓することになったので、一葉旧知の賛助を得てこの会を催したことが
『文学界』(明治三十七年三月号)に記載されている。
とありました
詳しくは『文学界』明治37年3月号を大きな図書館で
閲覧できれば分かるのでしょう
をいただいていたのですが、なかなか大きな図書館に行く時間がなくて
気にはなっていたのですが調べずじまいでした。
以前、近くの図書館で別の本を探していた時に、1996年小学館発行「一葉伝説」を見つけました。
これをさっそく購入して読んでいたら次のような記事が載っていたのです。
一葉会について、一葉の妹邦子(本の中では國子になっています)さんが
写真の解説も含めて述べてらっしゃいますので載せておきました。(本に載っていた文章そのままのせました)


情報をお寄せいただいた柴崎さんには感謝申し上げます。
今度機会があったら、大きな図書館に行って『文学界』を見てみたいと思っております。

以下の文章は1996年小学館発行 全集樋口一葉 別巻 「一葉伝説」 より抜粋です


読売新聞大正七年六月十日 四面
大正七年六月十日から十五日間、東京歌舞伎座で真山青果の脚色により
柳川春葉追悼新派劇として春葉の「うき身」五幕と
一葉の「にごり江」一幕三場が上演されるに際し、
読売新聞社が礫川堂を取材した談話より

- 一葉を偲びて

-------
令妹國子さんの追懐談◇◇「にごりえ」上演と聞かばあの紬の羽織で隅っこの方に恐縮してゐませう◇◇ -----
天才樋口一葉女史逝いて今年は早くも二十三年、
命日の十一月二十三には其の菩提所築地本願寺に法会が営まれるそうですが、
僅かに二十五年の短い生涯の間に数多く残された傑作のうち
最後の傑作になってゐる「にごりえ」が
今度歌舞伎座で上演されることになりましたが
故人の令妹で小石川傳通院前に書籍文房具店を出して居られる國子さんは、
今と昔を思い較べつゝ


『この一葉会の人達から新橋の中央亭に呼ばれまして何の関係もないのですけれども
御馳走になって帰りました。
馬場胡蝶さん、戸川秋骨さん、小山内薫さん、生田長江さん、栗原古城さん、
久保田萬太郎さん、その他十人余りのお集まりでしたが、
眞山青果さんが脚色されたのを河合と喜多村とで演るといふお話で、
成るべく其の当時の心持を多く出したいから、
何か気附いたことがあつたら言つて呉れといふお話でした。
一体この脚本は去年のうちに芝居になる筈で、
去年は早くから書き下ろしが出来たから本読みをきゝに来て呉れとか仰しやましたが
警察の方がやかましくて止めになりまして、それから今度急に至すことになったようです。』

と國子さんはここまでお話になつて奥から二枚の写真を持って来られました。
一枚は二十位の森田草平さんが家の前に立ってゐるので、
もう一枚には後になって一葉会を作った人達十五六人写って居て、
与謝野晶子女史や岡田八千代女史が大きな桃割れか何かに髪を結って写ってゐるのでありました。
國子さんは流石に感慨に堪えない面持ちで話つゝけられました。

「この写真を歌舞伎座に送るんで御座いますの、この子供を抱いているのは私ですが、
この子は十八になるので今の倅ですから、もう十五六年経ちますでせう、
此の写真は本郷の丸山福山町の私共が以前ゐた家で、
当時森田草平さんが居られた家で撮ったのです。
私共は其の頃本当に貧乏で『たけくらべ』が出ました下谷龍泉寺町から
福山町に移って来たのですが『にごりえ』はこの家で出来たので、
お力の居た茶屋の奥の家でした。
姉の死にましたのも此の家で、姉の1周忌が過ぎると間もなく母も此家で亡くなりましたが、
其の後、私が他へ移って方々流浪してゐるうちに、
誰か他の人が移り住んでゐる処へ、
森田さんが私達の居た家とも知らず偶然に下宿か間借りかして居られたのです、
其処へ遊びに来た友達の方が
「オゝ此処は樋口一葉の家じゃないか」といったような訳で、
そこへ遊びに来られる方々で一葉会といふものを作られたのです、
この時分は皆さんお若うございました、
大学生でしたからね、
姉の小説が芝居になるなんて、若し生きて居りましたら、
あの紬の羽織で隅つこの方に恐縮して居りましたでせうよ』


時事新報大正七年六月十五日十面
「にごりえ」の上映を観劇後、感想を述べている談話より



-
にごりえ』を観て
----
◇涙新たに一葉女史が在りし昔を偲ぶ令妹◇


=樋口邦子女史曰く=

「河合さんのお力と云ひ、喜多村さんの源七と云ひ、本当に能くお写しになりました、
舞台に上せたらまあ恁んなかと、唯だもう感心して拝見する丈でムいます、
「濁り江」と申す作は、
幼少の頃から至って手堅く育ちました姉が
偶然あゝ云ふ場所に引越して、
初めて発見した活きた材料なのでムます、
何事も能く御承知の皆様方には如何ですか、
それが姉の身に余程稀しかつたものと見え、
それ丈一生懸命になつて書き上げたようでムいました、
恁んな結構な出来栄えのお芝居を、
若し亡くなつた姉に一目なりとも見せる事が出来たなら、
ホンにまあ何んなにか喜んだ事でムいませう」と

なを一葉会とは関係ないですが、
『たけくらべ』の原稿が見つかったお話が載っていた記事もありました。

この『たけくらべ』の原稿の所有者が西国立にある割烹料理店 ”無門庵”の経営者で、
完全自筆原稿の複製版(同じ原稿用紙でその変色具合も、朱のふりかなもまったく同じように複製されたものです)が、この ”無門庵” のギャラリーに展示されています。
”無門庵”は、鯉が泳いでいる大きな池を見ながら食事ができ、静かで落ち着いた雰囲気のお店です。
昔旅館をしていただけあって、広い敷地の中に池を囲むようにギャラリーや茶室、カウンターバーや宴会場が点在していました。
お店のメニューの中には ”一葉膳” というのもあり、私はもちろんいただいてきました。
本物の原稿は、傷むといけないというのでこの原稿の所有者が、山梨県立文学館(一葉の両親が山梨県出身でこの無門庵の父親も同じ山梨県出身だそうです)に寄贈されたそうです


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