2001/04/15

一葉の小説に影響を与えた人

  

まず最初に 一葉が小説を書こうと思いたったキッカケは、和歌を習いに行っていた『萩の舎』の先輩 三宅花圃 の影響でした。
三宅花圃は「藪の鶯」という小説を書いて、その原稿料33円20銭で兄の法事をすることができたというのを聞いたからだそうです。
当時女学校も出ていない女が稼げる仕事などほとんどなく、極度の近眼の為か針仕事も苦手だった一葉が、自分の得意な筆で生計をたてようと考えたのでした。

そして本格的に小説を書くため、18歳で当時朝日新聞小説担当記者であった半井桃水に師事することになりました。

桃水は一葉の小説家になる最初の手ほどきをした人ですが、ある日一葉が情死をする心持は何なものであろうか、という難問を聞いてきたことがあったそうです。
その時桃水は、
「私とても情死の経験はないから、何ういふ心持であるか、それをお答へする事は出来ぬ、唯斯んな人間が斯うした義理に迫ったなら、如何さま死ぬ気になるであろうと、読者に思わせれば好いのである、近松でも馬琴でも豈夫情死の経験はなかった筈」と答えたそうです。

そしてこのことは「別れ霜」に生かされるのだそうです。(私は現在未読)
この「別れ霜」を書いている途中で、桃水は一葉に、こう注意をしたようです。

「貴嬢一度三崎座へ行て女優の演劇を御覧なさい、男形は存外旨いが、女形は男優の演る程何もやさしく行きません、是は畢章自分が女仕種でも台語でも多少自分を標準とする為、荒っぽくなりたがります、女流作家もそのとうり、自分の平生用ふる言葉を全然使えば女であると気を許す処から、女の言葉が荒くなる、口では巧みに言いまわして、さほど耳立てぬ辞でも、書いて見れば優しくない」と。
それからは、女の言葉に始終意を用いて、是では何か彼では何かと絶えず桃水に相談していたようです。
一葉の小説に大きな影響を与えたのは桃水であることはまず確かなことだと思います。

そして桃水と絶交した後、一葉の小説が雑誌に載るようになってからは「文学界」の人たちがよく一葉の家にきては、文壇の話、海外の文学の話などたくさんしていったそうです。
それが一葉の小説に大きく影響を与えたというのものも確かなことなのでしょう。

一葉の死後16年たった明治45年に、日記を含めた一葉の作品をまとめ、一葉全集を刊行した馬場胡蝶によれば、一葉の小説は明治27年の暮れから、文体、着想ともに一段の進歩を見せたそうです。
思想も変わったが、特に文体が溌溂として来たそうです。
これは、西鶴の好色本や「日本永代蔵」「世間胸算用」のような町人ものを読んだ結果だろうと言っています。
この「西鶴全集」も平田禿木が貸してあげたものらしいのです。

また馬場胡蝶は一葉に関してこんなことも書いています。
「創作はもとより、突嗟の間に書いた日記などもあれだけの齢で俗語と雅語とをあれ程までに自由自在に駆使して書ける人は、婦人には勿論男にも滅多にあるまいと思われる。時代の教育にもよるが、あれだけの齢で、日本語をあれまでに自由に駆使したことは一葉君の勤勉の結果である。」

その他、馬場胡蝶の一葉全集刊行に際しての言葉を読んでいると、小説家として売れ出した当時の一葉がどんな状況におかれていたかがよくわかります。
当時一葉は、その書いた小説の主人公たちが、遊女になる女、銘酒屋の女、盗みをはたらく女、妾になる女であったりと、通常では考えられないような世界の事を書いた為、お酒をあおって小説を書いていたとか、たくさんの男たちと交際していたとか、普通の婦人ではありえない数奇な生活をしていたのではないかとか、マリリン・モンローと同じくらい(私にはそう思えた)に色々なことを憶測されていたようです。
そして、上流階級の女性がほとんどを占める「萩の舎」では皆から軽蔑されていたようです。
実際に一葉のお葬式には、萩の舎からは友達だった伊東夏子、田中みの子のふたりだけしか参列しなかったそうです。

実際には誠に地味で、親兄弟思いのつつましい女性であったようです。
女性というよりは中性的な感じがする人だったようです。(そうならざるをえなかったのだろうと私は思いますが)
桃水などは、一葉のことを女としてはまるで見ていなかった、と思い出話の中で書いていましたから、なんたる哀れなことか。
一葉の小説が哀れなのは、ここからきているのかしら、なんて思ってしまいましたが。

そんなことをここで書いてるときりがないのでやめますが、興味のある方は
1996年、小学館発行 「全集 樋口一葉」の別巻、「一葉伝説」 が出版されていますので、ぜひご一読を!
私は最近見つけたのですが、今日でも新たに一葉の本が、単行本以外で出版されているのかと思うと非常に嬉しいです。

本題に入って、一葉の小説に影響を与えた人ということで、西鶴をあげなければいけないのですが、まだ本が手に入っていません。
ですので、これについては後日というこにします。
心中物ということで一葉に影響を与えた近松門左衛門の本を読んだので、これについて私なりに気がついた事を少し書いてみようと思います。

心中ものなので、当然「にごりえ」を理解する手がかりが何かあるかしらと私は思ったのですが、
気がついたのは、近松門左衛門の「冥途の飛脚」の中の、ある情景が「たけくらべ」の中に出てくる情景に似ているなということです。
それは、「冥途の飛脚」の主人公、梅川と忠兵衛が、心中しようと決意して逃げる途中、忠兵衛の実父の孫右衛門に会いに行く場面にあります。
養子に出した子供(忠兵衛)が屋敷の急用金に手をつけたことで罪人になっていて、孫右衛門の所まで追っ手が来るという状況で、面と向かっては親子対面ができない。
そこで、遠目で、あれが自分の父親だと梅川に教える忠兵衛。
梅川が、「見始めの見納め 私は嫁でござんする。夫婦は今をも知らぬ命。百年の御寿命過ぎて後。未来でお目にかかりましよ」と独り言を言い、手を合わせ涙ながらに密かにお別れをしようとしたところ、
ここより「冥途の飛脚」の本分を引用(カタカナ書き?は省略)
「・・・・孫右衛門は老足の休み休み門を過ぎ。野口の溝の水氷滑るを止まる高足下駄。

鼻緒は切れて横さまに泥田へかはとけこんだり。

「ハア悲しや」と忠兵衛もがけ共騒げども。身をかえり見て出でもやらず 梅川あはて走り出で。

抱起こして裾絞り「どこも痛みはしまぜぬか。お年寄りおいとしや お足もすすぎ 鼻緒もすげてあげませふ。

少しも御遠慮なさるな」と腰膝撫でていたはれば。

孫右衛門起き上がり「どなたやら有り難い。お蔭で怪我もいたさぬ。

若い上ろうのおやさしい 年寄りと思召し。嫁子もならぬ介抱。寺道場へ参っても これ 。

ここの一心が邪険では参らぬも同前。こなたが 本の後生願ひても手を洗ふてくだされ。

幸ここに藁も有り 鼻緒はわしがすげましょ」と。

懐の塵紙を取出せば 梅川は。「よい紙がござんする 小縒りひねってあげませふ」と。

延引き裂きし その手許 不思議そうに。「先ずこなたはここらに見知らぬお人じゃが。

どなたなればこのように念比にして下さる」と。顔をつれづれ眺むれば 梅川いとど胸づはらしく。

「アア我らは旅の者 わたしが舅の親父様。丁度 お前の年配で 恰好も其の侭。

外へする奉公とはさらさらもって思はれず。お年寄った舅御の臥悩みの抱きかかへ。

宮仕えは嫁の役 御用に立てば私も。なんばうか嬉しいもの 連合ひはなを親御のこと。

飛び立つ様にもある筈 この紙と。替えて 私が申受け連合いの肌に付けさせ。

父御に似たる親父様の形見にさせたふござんす」と。塵紙 袖に押し包む 涙ぞ色に出でにける。

詞の外れに孫右衛門 つくづくと推量し。さすが恩愛捨てがたく老の涙にくれけるが。・・・・・・」 
と、このあと孫右衛門が、忠兵衛を、嫁の為に罪人になったときき勘当してしまったが、もとより血のつながった息子、
母親がいない哀れな息子ゆえ、相談さえしてくれたら田畑を売ってでもお金を作ったのに、
人のお金を盗んで罪人になるとは情けない、けれども我が子は可愛いい!と言うくだりがあり、
その後、親の目の前でお縄になるというのが「冥途の飛脚」の筋書きです。

この鼻緒が切れるという情景が「たけくらべ」とよく似てるなあと私は思ったのです。
といっても、この鼻緒の切れる情景が「冥途の飛脚」では親子の情を通わせる糸口になっていたのですが、
「たけくらべ」では美登利と信如を引き裂く暗示になっていたのは、大きく違う所ではありますが・・・・
いずれにせよ、どちらも別れなければならない運命であったことにはかわりないのですが。

とまあ、以上近松の心中物を読んで私が感じたことでした。


Marilyn Monroe    M & I   Ichiyou Higuchi   Memory  Profile  Link's

oldbbs  ひとりごと   Feeling  アンケート  アンケート集計