一葉に関する書き込み(Takak's Worldの以前の掲示板より)

何かのお役にたてばと思い、以前の掲示板の書き込みの中から、
一葉に関する書き込みをまとめてみました。


  t  2001/12/13(木) 22:55☆吉(^_^)<

ところでご質問のイラストのことですが、↓に載せたのがデジカメで撮ったものです。





(容量の関係で一部切り取ってますが)一葉資料館にあったものです。

「あっ、御高祖頭巾だあ」って思って嬉しくなってカメラで撮ってしまいましたが、どのような形で展示してあったのかあまりよく覚えていないのです。

羽織をきて荷を背負ってるので、たぶん一葉日記の8月6日?のはじめて仕入れに行った日のことを、どなただかが描かれたのかもしれませんねぇ。私にはよくわかりませんが。

一葉の日記を読んだことない人もいるかもしれないので載せておきますね。

---------ここより一葉日記「塵之中」より引用----------

6日
晴れ。店を開く。向かひの家にて直に買ひ来るも中々にをかしき物也。
母君は、「例之奥田に利金払ひ、田部井に箱をあがなはん」とて家を出づ。
師君より書状来る。一両日中に伊香保へ湯治に趣き給ふよし。その留守にて、我れ主と成りて数よみ催しくれよ、との頼み也。
断りの文を出す。文につけて思ひ出たり。伊庭のもとに一昨日はがき出したり。

夕刻より着物三つよつもちて、本郷の伊せ屋(質屋の名前)がもとにゆく。四円五拾銭かり来る。
菊池君のもとに紙類少し仕入る。二円ちかく成りけり。
今宵はじめて荷をせをふ。中々に重きものなり。
家に帰りしは十時ちかく成りき。持参の紙類、明日の朝店に出すべき様、今宵のうちに下ごしらへをなす。
十一時床に入る。

-------------------------------------------------
はじめての仕入れで羽織をきていたのでお店の人におかしがられた、というようなことを何かで読んだきがします。
山の手から下町に引っ越すことも、商売をはじめたことも今とは違ってきっと勇気のいることだったのでしょうね。



t  2001年10月02日(火) 22時40分

一葉も御高祖頭巾をかぶっていたのですね。
ひゃあ〜!それは嬉しい!
そんなことは全く知りませんでした(^^;

書き込みを見て、大昔に読んでいた『一葉青春日記』を読み返してみました。
(この本、もう黄ばんでしまって、そうとうな年代ものになってしまいましたが(^^;)
私がこの日記の2月4日分、(一葉が21歳(?)の時の日記)を最初に読んだのは、10月14日(火)みたいです。
ちょうど今頃の季節だったんだなあ。
本に赤ペンで書き込みしてあります。
多分社会人になってからではないと思うので、私が高校2年の時か3年の時だろうと思います。
赤ペンで○もしてあります。今となっては何故○をしたのか自分でもよくわかりませんが・・

この日の日記は名文ですよね。
朝から天気の悪い寒い日で、桃水先生が寝てらっしゃるので、隣の部屋でずっと待っていた。
あまり時間がたってしまったので心細くなった頃、先生が起きてこられて、申し訳ないとあやまりながら、先生自ら”おしるこ”を作ってくれてそれをご馳走になったと嬉しそうに書いてありますね。
それに、新人を世に出す為の本を発行しようという先生の計画をきいたり写真を見せてもらったりと、一葉にとっては、とっても楽しかったんだろうなあという様子が伝わってくる実にいい日記ですよね。
家に帰ってから母や妹と話はいっぱいしたが書かない(こんな解釈でいいのかしら?)、とその日の日記には書いてありますね。
淡い恋心(なのかしら?)がみごとに描かれていて、読んでいるこちらも嬉しくなってきますよね。



Tetsulo <http://www.st.rim.or.jp/~stetsu> - 2001年10月02日(火) 00時49分

一葉の御高祖頭巾

こんばんわ
一月に書き込んで以来の書き込みです。

御高祖頭巾の人形、拝見しました。
頭巾をかぶるとしっとりとした雰囲気になりますね。
着物の女性が提灯を持っている姿って結構好きです。


御高祖頭巾といえば、、、
一葉の明治25年2月4日(「雪の日」のベースになった日)の
日記には「頭巾のうえに肩掛けすっぽりかぶりて、、、」とあり
ます。
うちの本には、この頭巾は御高祖頭巾のことと解説に書いてあり
ました。
一葉も冬季の外出には、御高祖頭巾をかぶっていたようですね。




t - 2001年09月29日(土) 12時28分

手抜きしましたが・・(^^;

御高祖頭巾の人形の写真載せましたので見てね!(前作った人形と同じです。御高祖頭巾をかぶせただけですが(^^;)
一葉の小説『わかれ道』のお京さんもかぶっていた御高祖頭巾です。
明治の中期に大流行したそうですよ。





naomi - 2001年02月25日(日) 23時26分

一葉さんについて思うこと

樋口一葉さんの作品、わたしも大好きです.本当に物悲しい作品が多いけれど励まされます.一葉さんの優しさ、強さを感じるからだと思います.特にたけくらべはいつ読んでもいいな、と感じます.

t  2001年02月13日(火) 22時07分

日経の夕刊

こんばんは!
日経の夕刊を読んでいたら、一面の”鐘”というコーナーにこんな記事が載ってました。
以下引用-----------------

「唯我れのみは広野の原の冬枯れを行くやうに、心に止まる物もなく、
気にかかる景色にも覚えぬ」(樋口一葉「にごりえ」)
   ×       ×
十代のころ日活アクションスターの赤木圭一郎に入れ込み、主演映画はセリフを暗記できるくらい見た。スクリーンでの孤独な雰囲気が当時の若者の心をとらえたが、本当の孤独とは何かを教えてくれた師はトニー(赤木の愛称)ではなく多くの文学作品だった。
例えば「にごりえ」の主人公お力。居酒屋での陽気な振る舞いとは裏腹に、心は冬の荒野のように冷え冷えとしている。そんな姿に深い孤独を垣間見た。
最近の若者も早世の文学者一葉の作品を一つか二つ読んで薬にしたらどうか。
公式の場で大勢でばか騒ぎをする、高速道路を我が物顔に徒党を組んで突っ走る....。そんな傍若無人ぶりはもううんざりだ。
時にはひとりになって自分と向き合ってほしい。
案外孤独な自分に気づくはずだ。それをどう克服するかを思案するひとときが心の成長を促す。

---------------------------

おお、一葉の「にごりえ」のことが書いてあると、思わずこの記事切り抜いてしまいました。
この記事を書いた人はどんな人なんだろう・・



まお <http://www06.u-page.so-net.ne.jp/qb3/maomao/> - 2001年02月08日(木) 22時33分

「にごりえ」

お久しぶりです(^^)
またトップと掲示板の写真が変わってステキですね♪
特に掲示板のこれ、もしかして日本での新婚旅行のですか?
なんだかほっとしちゃいます。

「にごりえ」っていう映画は、TAKAKOさんはもうご覧になってますか?
2月11日(土)深夜1時から、NHK衛星第2で放送するそうなんです。
「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」のオムニバスなんですね。
一本で三回美味しい…(笑)
私は「TVTaro」という雑誌を買ってるんですけど、毎月おすぎのオススメのコーナーというのがあって、そこで、「一葉の原作を読まなくてもこの一本を見れば一葉の文学がいかに素晴らしいか解るというもの。

キネ旬ベストワン(多分制作年の1953年の?)に当然という映画」とコメントしてあります。
「たけくらべ」しか内容を知らなくて、しかもそれも「ガラスの仮面」で知ったという私なので(笑)、これ、ぜひ観てみようかな〜と思っています。



Tetsuro - 2001年01月30日(火) 00時22分

はじめましてと北沢映月

はじめまして

こちらのページは、一葉の事を調べているときに検索でヒットして以来ちょくちょくお邪魔しています。
とても参考になります。

Tadashiさんのスレッドに北沢映月のことが書かれていたので私もちょこっと書かせていただきます。
北沢映月が書いた一葉の絵は、「想」という作品です。
TAKAKOさんはごぞんじでしたでしょうか?
お関、お力、みどりの三人のヒロインをバックに一葉が座っているとても素敵な作品です。
私は、この絵を作品集で観て以来、一葉に興味を持つようになりました。
北沢映月は、このほかにも「女人卍」と言う作品にも一葉を描いています。

一葉記念館にも幾つかの肖像がが飾られていますね。
鏑木清方の「一葉」は、別格として、一葉を描いた作品のなかで一番好きなのがこの「想」です。

一葉については、まだ書きたいことがありますがこの辺で、、、
それでは、またお邪魔します。



KUMIKO - 2001年01月26日(金) 02時11分

本届きました。

こんにちは。
岩崎ちひろの「たけくらべ」届きました!
原文に岩崎ちひろの挿絵がついているというものでした。
クレヨンかコンテか描いたものはよくわかりませんが、サラサラッと素朴に描かれた白黒の挿絵でした。
ちひろ風の美登里はとっても可愛いです。

私、挿絵がきれいだと買ってしまいますね。
「たけくらべ」はもう一冊もっています。
ちくま文庫から出ているもので、宮本順子さんという方が挿絵を描いています。
友禅染めとろうけつ染めの技法を用いた挿絵でとても美しくて、気に入っています。

今思い出したのですが、私の行ってた大学に幸田弘子先生という朗読の女の先生がいて、「たけくらべ」など一葉の朗読会を定期的になさっていました。
私は一度も聞いたことないのですが、聞けばよかったです。惜しいことしました。
それにしても。マリリンずくめの喫茶店があるとは驚きました。
ぜひ行ってみたいです。



t  2000年12月05日(火) 22時51分

一葉忌は、ぶりさんの掲示板にも書かせてもらいましたが、池部良さんをまじかに見ることができ、思いがけずサインまでもらえて嬉しかったです。
幸田弘子さんにも「またお会いしましょうね」と優しい言葉をかけていただいてとっても嬉しかったです。

三ノ輪の一葉記念館では、木村真佐幸教授がプリントまでこしらえて講演をしてくれてとても感激しました。
「一葉の先駆的思考」というタイトルでの講演で、サブタイトルが〜「たけくらべ」に見る人間関係の哀と美〜というものでした。
小説の中における人間描写の鋭さ、脇役である「三五郎」の意地と生彩さなどについてお話して下さいました。
そして、問題の久佐賀についても話が及び、これを聞いていて、この先生の解釈の仕方に思わず涙がポロポロこぼれてしまいました。
講演を聞いていた私のまわりの人も、この先生優しいねって話してました。
そしてマリリン・モンローとの接点の4つ目も見つかったのです。が、どうまとめていいかわからないので、そのまま放ってしまいました。

記念館の中は偶然にもお酉様とぶつかっていたので、いつもなら来ないんだろうなあという人たちも大勢見にきていました。
一葉の写真をみては「綺麗な人だったんだろうねぇ」なんて茶髪の若い女の子たちが言っていたり、
おじさんたちはおじさんたちで、一葉の書いた手紙とかを見て「字がうまいなあ!」とかって感想をもらしていました。
シーんとした記念館とはまた違って嬉しいものがありましたよ。

とても長くなってしまいましたが・・
長くなりついでに・・
お酉様とぶつかっていたので、一葉記念館の帰りはいつもの道がとても混んでいたのです。
それで、すいてる道を通ろうとして迷っていたら、変な所に出てしまいました。
黒のスーツをきた恐いお兄さんたちが店の前に立っている場所。それが一軒だけではなくあちこちに立ってるんですよ。
いくら自転車だからといっても、とてもこの道を突っ切れないなあと思って、すぐ引き返しましたが・・
行きは行きでいつもは坂道が嫌なので、いつもは坂の無い道を選んで通っているのですが、たまたま間違えて、後楽園の方まで出てしまい、そこから、東大赤門前まで行ったのです。
そこにはまた急な坂道があり、とても自転車では登れないので、自転車を降りておしながら坂道をあがっていきました。
やはりこのあたりは山の手というだけあるなあなんて思いながらね。

行きも帰りも今まで通らなかった道を通り、つくづく、一葉は極端ともいえる場所に暮らしていたんだなあと改めて感じました。
そして、一葉の「たけくらべ」のすばらしさを再認識し、とても感動して帰ってきたのでした。


t 2000年06月21日(水) 09時14分

ところできのうなにげに「なんでも鑑定団」(こういうタイトルだったかしら)を見てたら、昭和5年(だったと思う)頃作られた、花柳章太郎さん(新派?の女形の役者さん)の人形が出てましたけど、その鑑定された値段が57万円でした。
花柳章太郎さんは、一葉の挿し絵を書いてらした「鏑木清方」さんのも絵画教室に行ったり、染め物を学んだりしてかなり多趣味な方で、ただの女の子のお遊びだった人形を人形芸術まで高めたことで、とても意味のある人形なのだ、と鑑定する方が解説してましたっけ。
とても姿のいい人形でしたよ。

ところで人形といえば、一葉に関して言えば、半井桃水が病気で入院してる時にお見舞いに行った時のお話で、
桃水が小説を書き上げるたびに、その主人公に近い人形を探して買っておくのだという場面(日記の中)で出てくるんですよ。
ほんとは、一葉は桃水にお別れを言いに行ったんですが、無邪気に話す桃水とそんな話をしてたら別れ難かったというようなお話がね。
ちょっとせつない場面ですけどね。


t 2000年04月21日(金) 09時50分

明治女学校

森まゆみ著「明治キ人伝」を読んでいたら、興味深い事が書いてありました。
明治18年に九段下につくられたキリスト教系の女学校で、明治41年廃校となった「明治女学校」の事です。
この学校で、羽仁もと子、相馬黒光、大塚楠緒子、野上弥生子らが、育ったそうです。
そして、その教壇には、幸田延、北村透谷、島崎藤村、馬場胡蝶、星野天知、若松しずこ(巖本善治夫人・「小公子」翻訳者)らがいたそうです。
巖本善治は、女性の地位向上と啓蒙を目指して「女学雑誌」を創刊し、その別冊から上にあげた明治女学校教員を中心に「文学界」が生まれ、その誌上に樋口一葉の「たけくらべ」が載ったのだそうです。

だだ、この著者、森まゆみ氏はこの女学校以前のこの学校の発起人である木村熊二の生き方に注目しています。
木村熊二は勝海舟の側近として奔走した人物だそうです。
明治の世で、旧幕臣をしての生き難さを知り、明治3年渡米し明治15年まで日本には帰らなかったそうです。

のち奥さんである木村とうこ、とともに明治女学校の初代校長をし、奥さんである木村とうこが創立の翌年コレラにかかり亡くなってから、明治25年には、木村熊二は実質的な校長を巌本善治に譲ったそうです。
昭和2年芝高輪で83歳で没したそうです。

−−−−−−−−−−以下この本の引用−−−−−−−
・・・・「吾は旧幕の遺臣であって明治の世には無用の者である。社会に対する仕事は、土台石の下にある石の様に人に知られない仕事をすれば其れでよいのだ」これが木村熊二流の「一身にして二世を経る」生き方であった。
私は谷中墓地の大地によこたわった墓石を思い出す。
華やかな巌本善治の陰にある、この土台石のような夫婦を、忘れるわけにはいかない。

−−−−−−−−−以上「明治キ人伝」より引用−−−−

ちょっとわかりにくい文章で申し訳ありませんが、こんな人がいて、またこんな人に注目する人もいるんだなあという単純にうれしい感想でした。
ちょっと長くなりましたが、一葉つながりで書いてみました。




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