1999/04/30

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廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に 燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの 車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前 と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人 の申き、・・・・・・ |
| 樋口一葉、本名「樋口なつ」が24歳の生涯の中で書いた代表作「たけくらべ」の書き出しです 私は、この本と17歳(高校2年)の時出会いました。当時、この出だしの所を暗唱したものです。 今でも、もう少し先までは覚えています。 現代文ではないので、ところどころわからない所があったりしましたが、すらすらと流れるような 文章に、吸い込まれるように、いつしか最後まで一気に読み通していました。 そして最後に水仙の花が、私の心の中に、もの悲しくそしてなんともいえぬさわやかな余韻を 残してくれたのです。ちょうど美しい絵を見た時のような感じでした。 私はこの一葉に、どんな環境にあっても「美」というものを失ってはいけない、 ということを教わったような気がします。 高校の卒論で「一葉の現代性について」(だったと思う)という研究をしましたが、研究を進めているうちに 一葉の母が「女に学問は必要ない」といっていたことを知りましたが、私の母も全く同じことを 言っていたので、変な所に共通点を見い出したものです。 卒論を書くに当たって、未成年では入れなかった国会図書館や、一葉記念館にはよく行きました。 私にとっては、この卒論を書いたことが、高校生活で得た唯一の宝ものでした。 以後、人生の岐路に立った時、私はこの一葉記念館を訪れ、一葉の作品、美しい文字に触れる事 で人生に立ち向かう勇気を与えられました。 一葉は女性としては日本ではじめて切手にもなった人です。 生計をたてるために小説を書いた人です。 日本を代表する女流作家ですが、私は、美しい文学作品もさることながら、一葉の生き方そのもの に共感を覚えます。 一葉の日記を読んでいると明治時代の庶民の様子や、一葉の心の内がよく書かかれています。 その日記そのものが、私には一つの小説におもえるのです。 アメリカの大学で使われる教材に「ノ−トン選集」というものがあるそうです。 最近始めて西洋文学以外の作品も収録され、一葉の「たけくらべ」が入ったそうです。 作家の生年順に編纂されているので、なんと一葉はプル−ストとト−マス.マンの間にはさまれて いるそうです。 前置きが長くなりましたが、私が感じた一葉の世界にどうぞお付き合い下さい ところで、一葉と夏目漱石とは、もしかしたら義兄弟になっていたかもしれないって知ってましたか? |
樋口一葉(本名奈津)は明治5年3月25日(太陽暦5月2日)に生まれ、明治29年に肺結核のため、24年という短い生涯を終えました。
私が知っている樋口一葉の世界を簡単にまとめてみました
| 一 葉 年 譜 | 備考 | |||
| 1857年 | 安政 4年 | 1 | 父母、中萩原村を出奔、江戸へ | 1 |
| 1867年 | 慶応 3年 | 1 | 父、組同心として幕末に | 1 |
| 1868年 | 明治 1年 | 1 | 父、東京府庁に勤務 | 明治維新 |
| 1872年 | 明治 5年 | 0歳 | 3月25日(新暦5月2日)午前8時東京付構内長屋の 官舎で生まれる。 戸籍は奈津、自署は夏子またはなつ子が多い |
1 |
| 1874年 | 明治 7年 | 2歳 | 妹邦子誕生 | 1 |
| 1876年 | 明治 9年 | 4歳 | 一家、本郷6丁目(法真寺前・桜木の宿)へ転居 | 1 |
| 1877年 | 明治10年 | 5歳 | 私立吉川学校へ入学 | 西南戦争 |
| 1878年 | 明治11年 | 6歳 | 草双紙類を耽読 | 1 |
| 1881年 | 明治14年 | 9歳 | 一家、下谷御徒町1丁目、 つづいて同3丁目(上野駅前)に転居 私立青梅学校に入学 |
自由党結成 |
| 1883年 | 明治16年 | 11歳 | 青梅学校小学高等科第4級を首席で卒業、 3級に進級せず退学 |
鹿鳴館 |
| 1884年 | 明治17年 | 12歳 | 一家、下谷上野西黒門町(湯島天神下)に転居 | 秩父事件 |
| 1886年 | 明治19年 | 14歳 | 8月20日、小石川安藤坂の「萩の舎」に入塾 | 四迷『浮雲』 |
| 1887年 | 明治20年 | 16歳 | 日記「身のふる衣 まきのいち」 12月27日、兄泉太郎死亡 |
1 |
| 1888年 | 明治21年 | 16歳 | 相続戸主に 父、事業をはじめ、一家神田表神保町に転居 |
花圃 『藪の鶯』 |
| 1889年 | 明治22年 | 17歳 | 7月12日、父則義死亡(60歳) 母、妹と次兄虎之助宅に同居 |
大日本帝国憲法 |
| 1890年 | 明治23年 | 18歳 | 一時、萩の舎の内弟子になる 母、妹と本郷菊坂町70番地に転居し、独立。 仕立てなどで生計費をたてる |
教育勅語 |
| 1891年 | 明治24年 | 19歳 | 小説家として立つことを決意。 4月15日、半井桃水(朝日新聞の小説記者)に師事する |
1 |
| 1892年 | 明治25年 | 20歳 | 2月、雪の日の桃水宅訪問 3月、桃水が一葉宅訪問。 桃水 創刊の”武蔵野”に小説「闇桜」が載る 11月、「うもれ木」が”都の花”に連載。 はじめて原稿料をもらう。 |
1 |
| 1893年 | 明治26年 | 21歳 | 3月、”文学界”に「雪の日」が載る。 7月20日、石川銀次郎から15円、金策して 敷金3円、家賃1円50銭の下谷竜泉寺町368番地 に転居、荒物駄菓子屋を開業 12月、”文学界”に「琴の音」を発表 |
”文学界”創刊 「君が代」 |
| 1894年 | 明治27年 | 22歳 | 2月、久佐賀義孝を訪問 2月、”文学界”に「花ごもり」前半を掲載、4月完結 5月店をたたみ、本郷丸山福山町4番地に移転、 萩の舎の助教に 7月”文学界”に「暗夜」を発表 12月”文学界”に「大つごもり」を発表 |
日清戦争 |
| 1895年 | 明治28年 | 23歳 | 1月、”文学界”に「たけくらべ」を発表 9月、”文芸倶楽部”に「にごりえ」掲載 12月”文芸倶楽部”に「十三夜」と 旧作「やみ夜」を同時に発表。 この年、創作活動頂点に。文名あがる。 |
下関条約 |
| 1896年 | 明治29年 | 24歳 | 1月、”文学界”の「たけくらべ」完結 2月までに「わかれ道」「この子」「裏紫」を発表。 4月”文芸倶楽部”に「たけくらべ」を一括発表。 <三人冗語>が激賞。この頃肺結核が発病 7月までの間に「われから」 「あきあわせ」 「すずろごと」 を発表。 8月 肺結核で絶望との診断 11月23日、午前、結核で死亡。25日葬儀 |
三国干渉 |
| 一葉の母は明治31年死亡。邦子は32年結婚、長男樋口悦ら六男五女をもうける | ||||