2000/05/04

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私が無理やり見つけた二人の接点ですが
お時間がおありでしたら、読んでくださいね。
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| 左から妹邦子、母たき、右が一葉 | 左、異父姉バ−ニス・ミラクル、マリリン・モンロ−と 姪(マリリンが抱いている子)のモナ・ラエ そして一番右が母グラディス |
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| 一葉には父も兄も姉もいたのですが、 姉は結婚をしてしまっていましたし、 兄のひとりは早くに亡くなってしまい、 もう一人の兄は、親から勘当されていて、 結局父が借金を残して死んでしまってからは、 戸主である一葉が一家を支えねばならなかったのです。 一葉はこの時17歳でした。 父が生きている時、いいなずけだった渋谷三郎 (司法界を経て山梨・秋田県知事、 早稲田大学法学部長を歴任した)とは、 樋口家の没落後,破談となったのです。 このことは一葉の心をかなり傷つけたそうです。 その為通っていた萩の舎で歌の道を歩もうとして 住み込みで働いたりしていました。 が、生活は苦しく、先輩の田辺花圃が「藪の花」で 名声と大きな収入を得ていたことで、 一葉も作家になろうと思ったらしいのです。 そして、小説を書いて身をたてようと、 朝日新聞専属の小説家”半井桃水”を訪れたのは、 一葉18歳の時でした。 しかし、一葉の書く小説は一般大衆向けでは なかったらしく、桃水に、これでは一生売れないと言われ、 ひどく気落ちして入水自殺をはかろうとしたそうですが まだ年の小さい妹、年老いた母を残しては、 死ねないと、気を取り直し、自分に戒名までつけ、 新たに出直す覚悟をきめたのです。 以後、貧しさの中で小説を書きながら、 自分の着物を質に入れ、 暮らしを立てる生活が、終生続くのです。 参列者の少なかった葬儀であったようですが、 伊勢屋(一葉が良く通っていた質や)の主人が, 一葉が亡くなった時、いつも来ていた婦人が樋口一葉であ ったことを新聞で知り、一葉の葬儀には お香典を持ってきていたことが知られているそうです。 |
一方、マリリンはデビュ−当時、孤児だったと 言っていましたが、 実は、母も姉もいたのです。 (今だに孤児だと思ってる人も多いようですが・・) しかし、母は精神病院へ入っていたため、 それを知られたくなかったのか、 女優としての伝説を作りたかったのかは わからないのですが、 一般にはマリリンの家族はお母さん以外、 あまり知られていないようです。 私も1997年に出版された 「わが妹、マリリン」を 読むまでは、お姉さんの存在は知ってましたが、 普通に付き合っていたなどとは夢にも思いません でした。 マリリンが姉の存在を知った時、 マリリンは12歳で、 姉は19歳。 お姉さんは結婚していましたが、手紙や写真 などを送り電話を取り交わしたり、終生の絆を 築いていったようです。 手紙をやり取りし、互いを訪ねあう 二人の付き合いは、マリリンが名声を得て それが難しくなってからも続いたようです。 1962年のマリリンの死に際し、カリフォルニア に飛んで、ジョ−・ディマジオと共に葬儀の準備 にあたり、 さらにはマリリンの死装束を選んだのも、他ならぬ 姉バ−ニ-スであったそうです。 ちなみに葬儀ではオルガニストが チャイコフスキ−の「交響曲第六番」や、 マリリンの好きだった曲のひとつであった 「オズの魔法使い」から<虹の彼方に>を弾いた そうです。 それはそれとして、 マリリンはマスコミから この姉たちの生活やプライバシ−を守るために たびたびこの姉にアドバイスしたり、自らの悩みが増す 中にあっても、精神を病んだ母に安住の地を 与えようとした、心優しき女性だったのです。 お金や物に執着しない性格は一葉と一緒で、 この姉に自分が着たものなど、どっさりおくったり、 していたそうです。 この点は一葉と同じく家族を支える 心優しくたくましい女性だったのだなあ と私は思います。 そして一葉もそうですが、 苦悩しながらも自分の理想とするもの に近づく為、死の直前まで働きつづけたのです。 |