2005/01/08


















マリリン・モンローと樋口一葉の共通点、
それは<お妾さんにはならない>という結婚観・人生観だった!?

前々から気が付いてはいたのですが、どうまとめてよいのかわからず、なかなか書けずにいたのですが、今回思い切ってまとめてみることにしました。
一葉フィーバーの続く中で、いまさら私が書く必要もないとも思ったのですが、樋口一葉とマリリンモンローを応援するというのが私のHPの目的なので、一葉やマリリンのことが少しでも伝わらなくては意味がないと思い、思い切って書いてみることにしました。
文章が下手なのでわかりにくいかとは思いますが、私なりの一葉観、マリリン観を読んでいただけたら幸いです。

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マリリンモンローと樋口一葉との共通点のひとつに、女として同じような精神の葛藤があったのではないかということです。

二人に共通しているのは、ある種の劣等感、そしてそこからくる孤独感のように思えます。
しかし結果的に、ふたりともそれをみごとに克服し素晴らしい文学や芸術を生み出しました。その創造力やと精神の粘り強さは凄いなあと思います。
しかし、当然ながらそれ故おこる、精神の葛藤がふたりには相当あったのではないかと思えるのです。

マリリンモンローは映画の世界で生きた人ですが、演技学校の出身ではありません。それどころかハイスクールさえ中退しています。
女優として有名になってからもそのことに劣等感を感じ続けていたようです。
たくさんのギャラを払ってまでも、演技指導にナターシャ・ライティスを雇ったり、又、後々ニューヨークに行き、リーストラスバーグが主宰していた演技の学校アクターズ・スタジオに通ったりもしました。
それらはみんなこの<勉強をしていない、演技の学校を出ていない>という劣等感から生まれた行動だったと色々な本には書いてあります。

一方、樋口一葉は成績優秀でありながら、母親の無理解で、進級させてもらうことができず、小学校義務教育の四級のみ受け、あとは進級していません。
進級できなかったことに対して一葉は悲嘆にくれたそうです。
見るに見かねて、父親が中島歌子が主宰する歌塾「萩の舎」という塾に通わせることにしたのです。
そこで一葉は古典や和歌を勉強し身につけました。独特の一葉小説の良さはこの古典や和歌の影響が多分にあると言われています。
が、しかしそこは当時の上流階級の令嬢がたくさん来ていたところで、一葉はこの萩の舎で自分とその裕福な令嬢たちとの違いを目の当たりにするのです。
同じ士族でありながら、一葉を含めた仲良し3人組は平民組みと称し、他の令嬢たちとは少し違っていたようです。

一葉が歌会の席に来て行く着物がなく、しかたなく親が借りてきてくれた着物を着て出たのだが、成績は最高点だった、と嬉しげに日記に書いています。
そのことは新札発行記念ドラマの一葉物語でも紹介されているので有名なことですが、山梨県立文学館で展示されていたものを見ると、ほんとにこれを着ていたのだろうかと思うような着物が展示されていました。
きらびやかな衣を身にまとったお嬢様たちに混ざって、あのように継ぎはぎだらけの粗末なものを着ていかねばならなかった一葉の境遇を思うと、心中いかばかりだったろうと思わざるをえませんでした。

又、一葉の父親が亡くなった後、学歴のない女が稼げる仕事など今と違って当時はなく、中島歌子が「どこか学校の先生になれるよう職探しをしてあげましょう」と言ってくれても、なかなかみつけてはもらえず、又見つかっても学歴がネックで、実力がありながらも一葉は先生という職業にはつくことができなかったのです。
その日の生活費にも困っていた一葉はいよいよ業をにやし、その当時、士族の身ではやるべきではないという母の反対を押し切ってまで日銭の入る商売というものをやりだすのです。
これは今と違ってとても勇気のいることだったようです。それほどまでに一葉は追い込まれていたといえます。
しかし、後にここでの体験が『たけくらべ』という文学作品を生みだす原動力になっていくのですが・・

一葉の書く小説全般に流れている一種の悲哀感はこのような劣等感からくる孤独感からきているのではないかと私には思えるのです。

樋口一葉もマリリンモンローも類まれな才能に恵まれながら、いわゆる裕福ではないということで、ぬるま湯につかることは許されず、独学で自分の演技なり文学なりを磨き上げていくしかなかったのです。

それが結果的に二人の寿命を縮めることになったのではないかと私には思えてなりません。

まあ、凡人の私にはわからないことだらけの世界なので、なんとも推測することはできないのですが、色々な本を読んでいるとそう思えてくるのです。

しかし、もっと確実にふたりに共通する点があったのです。

それは<妾にはならない!>という結婚観・人生観です。

マリリンモンローは駆け出しの頃、エージェントであったジョニーハイド氏から度々求婚されていました。結婚していたらもっと楽に生活できただろうと思われますが、マリリンがハイド氏を好きではあったけれど愛してはいなかった、という理由か、又はその反対なのかはわかりませんが、「私は死んだ後でこういわれたいわ。彼女は愛人だけにはならなかったって」と言ってこの結婚を断っているのです。
この言葉からもあくまでマリリンモンロー、ノーマ・ジーンは好きな人と結婚するという結婚観だったといえます。

樋口一葉についても同じようなことがいえます。一葉一家が困窮し、あちこちに借金を申し込んだり金策に走り回ったりしましたが、いよいよ困り果てた末に、新聞の広告を頼りに久佐賀義孝という易者のような男に、相場というものをやってみたいから、と借金を申し込みに行ったと日記に書いてあります。今でこそ女性でも<株投資>をやっている人も多い世の中ですが、当時としては女がそんなたいそうなことを考える時代ではなかったので、一葉の考え方がかなり進んでいたのか、それともやぶれかぶれだったのかは疑問なのですが、当時の女性ではありえないことを、20代でやっています。
一葉の普通の女性とは違う何かにひかれたのか、単に<お金のないおんな>だからだったのか、この久坂賀という男がさかんに一葉にすりより「毎月の手当てを払うから妾になれ」というようなことを言われ、ひどく憤慨したと日記には書いてあります。
妾になったのかならなかったのか、これが文学者、一葉研究家の間では問題になっているようですが、私は一葉は妾にはならなかったのではないかと思っています。
なっていたらもっと寿命は延びていたことでしょうし、第一、お妾さんになって楽々していたら、あのような文学は生まれてはいなかったと思えてならないのです。
こう単純に考えるのは軽率でしょうか。

そういうふたりに共通するもうひとつの点は<女を売りものにすることへの葛藤>です。

マリリンモンローはむろん女優さんだから女を売り物にしても当然の世界なのですが、マリリンが目指していたのは演技派女優でした。
女そのものをうるのではなくシリアスな文学作品もこなせる演技派女優になり、真に周りの人に尊敬されることだったのです。
しかし、世間ではマリリンは肉体派女優で演技などできないと思われていたようです。
そして一度ついたイメージを壊すことは難しく、そこから脱皮するのは容易ではなかったと思われます。
映画会社もマリリンに要求するのは演技ではなく女そのもので、そのことにマリリンは深く傷ついたようです。

その後自分でプロダクションを作ったり、努力はするのですが周りの見る目と自分自身との葛藤に疲れ果て、薬浸けの人生になってゆくのです。

一葉も作品が売れ出した頃、小説の主人公が銘酒屋の女だとか、吉原の遊女になる女とかで、女そのものを売っているものを書いたから面白がって世間が騒いでいるのだろうと冷静に日記には書いています。
また書いたのが女だからものめずらしさからさわぐのだろうと、世間の、一種の一葉フィーバーといいましょうか、一葉騒動とは無関係にあくまで冷静な様子も日記からは伺われます。

この二人の女性を通して、私は今のように男女同権とか、男、女関係なくなんでもやれる時代ではなかったことを改めて感じるのと同時に、おんなを道具として使われるのを拒んだ、おんなの抵抗とも、人間の抵抗とも思えるものを強く感じるのです。










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